少人数クラスを経験して。
おつかれさまです。
井ノ原です。
30人学級の話の続編?になるかわかりませんが、私がこの半年、20人以下の少人数クラスで授業をしてきた感想をお伝えしようかなと思います。
まず、生徒と先生の距離が近いことです。
わからないことがあればすぐ聞いてくれますし、生徒一人一人の反応がよくわかります。
これは生徒にとっても、教員にとっても充実感が増して良い授業になっていくと思います。
二つ目は教室の雰囲気です。
関係ないところでうるさくなることが極端に減り、必要ないものを出したり内職をする生徒はいませんし、寝る生徒も1人いるかいないかです。
むしろ授業に関係あることで盛り上がることが多く、集中できる環境にあると思います。
他の教師の方からもアットホームな雰囲気ですねと言われており、講義というより一緒に楽しんでいる感じです。席も自由に座らせていますが授業中は集中してくれています。
三つ目は管理のしやすさです。
40人相手にプリントを配るのと、20人に配るのでは単純にかかる時間が半分です。出席をとるのも半分ですし、回収も半分です。採点や提出物も半分です。
代わりに1人1人にかけられる時間が増えます。
少し難易度が高い内容にも挑戦する時間をとれますし様子をよく見れます。
四つ目はこれはコロナ禍だからですが、密を回避できます。40人の教室に半分以下の人数ですから当然ですよね。
逆にデメリットとしては、
人員がその分必要ということと少人数のため評価が難しいというところでしょうか。
20人を1人でみるということは、40人クラスですと先生が倍必要です。
人員不足ですね。
学校にそんな人的資源はありません。
評価に関しては、前提として学校には内規で成績をつけるときのルールが定められています。
私はこのルールに全く賛同していませんが所属している以上従わざるを得ません。
簡単にいうと全体の平均が100点満点中60点くらいになるように成績をつけろというもので、逸脱していると色々言われます。
意味がわからないですよね?
みんながめちゃくちゃ頑張って全員が100点をとっても、全員に100点の成績をつけられないということです。「テストを作る先生側の問題」ということでしょうが、みんなが頑張ってくれたことを教員側のせいにして素直に評価できないこのルールが大嫌いです。
このルールのせいで少人数であると割る人数が少ないですし、極端に低い点数をとったり態度が悪い生徒がいないので難しいです。
少人数は悪いとこはあるけれど、正直いいことの恩恵が大きいです。
一刻も早く実施してほしいですが、このまま人員補充を行わなければ10年たっても30人学級にしかならないそうなので、もっとお金をかけて、少なくとも40人学級は終わらせてほしいですね。
10年かけて30人?
皆さまこんばんは。
休校があり、普段とは違う学校生活ですが、もう折り返しの時期が来ました。
最近、文科省が30人学級を10年かければ移行していくことができると発表がありましたね。
色々突っ込みどころはあります。
まず10年もかかるというところ。
現在学校では少子化の影響もあり空き教室が目立つようになりました。
35人3クラスだった小学校が40人2クラスになったなんていうことは良く耳にします。
そうじゃなくて、26人3クラスのほうがいいと思いませんか?
子供が減ったからクラスを減らそう、教員を減らそう、かけるお金を減らそうという安易な考えがだめですね。
二つ目に30人学級って、多くないですか?
OECD平均は中学校で23.7人、小学校で21.6人。
それで減らしたつもりですか?
三つ目は、技術革新が急速に進むなか、人員を補充しなくても10年で30人学級にすることができるという考え方がもうだめです。
その10年間の間にいったい何人の生徒が卒業していくんでしょう。
一刻も早く改革すべきことなのに。
どうして教育をこんなにも蔑ろにするのでしょうか。
ライブ配信の授業
みなさまお久しぶりです。
書きたいことはあるのですがなかなかまとまった時間がとれずこんなことになってしまいました(--;)
さて、今日はオンライン授業について話したいと思います。
オンライン授業ときくと、どんな授業を思い浮かべるでしょうか。
ライブ配信、映像授業(編集なし)、映像授業(編集あり)。
この辺りが候補かなと思います。
どの方法にもメリット・デメリットがあると思います。
では、この中で一番手間がかかるのはどれだと思いますか?
それは断然映像授業(編集あり)です。
オンライン授業のために動画を作り、効果音や慣れない編集をする。とても時間がかかります。
これは教師にとってかなりの負担であるといわざるをえません。
ではなぜわざわざ映像授業(編集あり)を選択するのでしょうか。
私が思うに「生徒が見返したときにわかりやすいため」というのが一番の理由にあると思います。
しかし思い返してください。
普段、同じ授業を二度見る機会がありますか?
ノートにとるのはノート点のためではなく本来、授業で習ったことをその授業中に全て理解することは難しいので書き留めて、あとから見返すものではないですか?
普段はそうやってノートに書いて見返して勉強しているのではないですか?
そう考えると、別に動画を作成しなくても、ライブ配信や映像授業(編集なし)を見せて、それを何度も見れるようにするだけで相当な価値があると思います。
私はオンライン授業が編集した動画の垂れ流しが正解とは思っていません。
もちろん、補助的な役割を与え、より学びを深める効果はあるでしょう。
しかし、私はそこに時間を裂くのなら、普段の授業動画を流して、自分で確認して、技術向上のために利用したり、映像ならではの見せ方を研究することに時間を費やしてほしいと思います。
映像授業(編集あり)以外、そんなに負担なように思えないのは私だけですか?
現場は嫌々、文句と不信感。
オンライン授業をしろという通達がきて、着々と学校のオンライン化が進んでいくのかなぁと思っておりました。
しかし、もう手遅れだったのかもしれません。
現場はもう文科省や教育委員会の言うことなんて信じられないのでしょう。
せっかくオンライン化されようというのに責任の押し付け合いや愚痴だらけ。
所謂「できない理由探し」が始まってそれに尽きます。
最終的には「通信料」という懸念まででてきました。
あなたは生徒のシャーペンの芯がすり減っていくのを見て問題だ!と思ったことがあるのかと私は問いたかった。
オンラインへの否定的な考え、また教育委員会や文科省への不信感がずっと成長しない止まったままの学校教育が動きだそうとするのをまた妨げる。
そんな姿を見ていて「教員の質が下がった」のではなく、「学校以外のすべてのものの質が上がった」ととらえるべきなんだと感じました。
こんなに多様化を訴えているのに、エレベーターがない校舎だらけ、すべての教室にエアコンがあるわけではなく、なんでもかんでも禁止する校則の数々。
今日も学校は変化しませんでした。
いつになったら変わっていくんでしょうか。
そのために私がすべきことはなんでしょう。
最近はそんなことばかり考えています。
夏休みの宿題
夏休みが終わり、この暑さの中ぞくぞくと学校が始まっているのではないでしょうか。
夏休みはどれくらいありましたか?
肌感ですが平均二週間ないくらいじゃないでしょうか。
もちろん長い地域もあったでしょうし、3日という学校があったことも知っています。
この短い夏休みの中で、宿題は出されましたか?
さすがに例年通りの量ではないにしろほとんどの学校がでたんじゃないでしょうか。
二週間しかない夏休み。
子供にとってつかの間の休息。
どこかに行くことは躊躇われるが、Gotoキャンペーンを利用して旅行にいった家庭もあることでしょう。
二学期は例年よりも長い。
ただでさえ二学期は長いのにそれがもっと長い。
なんのために夏休みの宿題を出すんでしょうね。
例年の半分しか夏休みがないから、宿題も半分にするという発想は大変狂っています。
夏休みの濃さが違います。
それでも宿題をがんばる子供たち。
そんなことしないでもっと疲れをとってほしかったと思います。
もし、夏休みが2週間程度しかないのに絵日記や自由研究が夏休みの宿題として出た学校があるなら教えてほしいです。
どこにもいけないし、二週間のうちから絵日記を書かせたり、少ない期間で自由研究をするとなるとすることが限られます。
自ら進んでやるのではなく宿題として提出を求めるのはナンセンスとしか言いようがないですね。
クラスターフェス
東京の渋谷でクラスターフェスなるものが行われた。
主催者は「コロナはただの風邪」で知られる平塚正幸氏。
個人的な意見だが、コロナがただの風邪!だからそんなに怖がらなくていいし、自粛なんて必要ない!と主張するのは自由だと思います。
ただやり方が良くないと思います。
特にノーマスク山手線に関しては。
現在JRでは乗客にマスクをつけることをアナウンスしており、電車での感染が起きないような努力をしています。
マスクを忘れた人もいるだろうし、暑すぎてつけられない人もいると思う。
中には個人的にマスクは必要ないからとつけない人もいるだろう。
でも今回は重みが違う。
集団で、移動することを目的とせず、ただデモの現場として山手線を利用した。
これって迷惑行為ではないだろうか。
JRがマスクつけてーっとお願いしているのに、意図的に無視するのはマナー違反だろう。
利用者なんだから守るべきだ。
他にも、山手線一周も、渋谷で集まってフェスをすること自体に疑問もある。
誰に向けてなんのための行為なのか。
自治体や国が自粛や新しい生活様式を求めているのに、コロナはただの風邪だ!と集まって、通行人に叫んで、それで何が変わるのか。
おそらく、炎上からの宣伝効果を狙ったのだろう。
メディアは一斉に報じるし、トレンドにも上がった。
ほとんどが否定的な意見にも関わらずみんなの目に触れた。
宣伝としては大成功だと思う。
ただ人道的に褒められたものではない。
本当に国民のことを思って、自粛が必要ないと訴えるならこんなどんちゃん騒ぎを起こす必要なんてない。
「マスクは奴隷がつけるもの」なんて発言が飛び出てくるわけがない。
結局なにがしたかったのか本当にわからないのだ。
私も今、国や自治体を変えようという運動をしている。
なかなか進まない話に歯がゆい思いをすることも多い。
平時に集まってなにかを通行人に訴えかけるのと、コロナ禍で行うのとではわけが違う。
そもそもクラスターフェスのクラスターは疫学では「感染する確率が異常に高い集団」、一般では「集合体」を意味する。
どっちの意味を取っても何をしたいのかよくわからない。
宣伝効果を狙うならもっと見てわかるものにすべきだろう。
これではクラスターを発生させたい集団である。
結論。
百歩…いや一万歩譲って、渋谷でのフェスに関しては目をつむれても、山手線一周は許されることではない。
対面授業以外も認めてください。
先日、オンライン授業を早期の段階から実施し休校中の学習保証に尽力していた学校に対して、出席日数に加えるなという通達があったというツイートを見ました。
驚愕しました。
こんな状況で、必死に新しいことにチャレンジしてきたことを認めず、褒めることもせず、まるで対面じゃないと許さないという脅迫文ともとれるような内容。
唖然ですよ…
西村大臣が七割在宅、時差出勤等を求めましたね。
つまり経済活動に関してはより一段階上の規制がかかったわけですが、学校はどうでしょう。
萩生田大臣はなにをしてるんでしょうか。
若い世代で感染が拡大し、あちこちの学校や保育所でクラスターのような事案が発生しているのだから早く措置をとるべきでしょう。
7月27日の段階でのコロナ関連の新着情報は7月20日に更新された実習に関するものが最新です。
一週間前から止まってます。
この一週間で状況は深刻な方向に進んでいるのに。
また、とある市の市長が「パソコンが苦手、対面にこそ価値がある」というような趣旨の発言をしているそうです。現場にでていない市長が教育に関してわかったような口をきかないでほしいと思います。
パソコンの操作なんて主観でしかないですし。
対面のほうな価値があるかもしれないですが、今こだわるところはそこですか?
どうしても対面授業しか認めたくない日本。
日本の学力は低下傾向にあります。
もしオンライン授業を導入したり、普段とちがうことをしたことでより学力低下を招いてしまったとき、責任を負うのがよっぽど嫌なんでしょうね。
だから変えたくない。
変わらないんじゃない、変えない。
できない理由を探して動かない。
責任を取るような文言はのせず、あくまで学校の判断に任すという現場頼み。
対面授業以外の選択肢を設けてください。
認めてください。
多様な学び方を。
この多様化した社会でおいていかれる教育を見捨てないで。