井ノ原の言いたいこと ~日本の教育について~

教育について考えたい。そんなブログです。Twitter→@kyoushinotameni

最低なのは働き方だけじゃない。

教師の働き方がブラックなことが広く知られるようになりました。

文科省はいまだに仕事を増やしてきますし、そのほとんどが効果が薄いです。

なにかを増やすならなにかを減らしてほしい。

もしくは増員してほしい。

担任はもう担任だけに専念させてほしい。

それくらい担任の業務量は多い。

働き方以外にも最低なことが起きている。

人員減の波が止まらないことだ。

どんどん人が減らされる。

どんどん人がやめていく。

講師が見つかるわけもなく、今いる教員で分担する。

正直破綻している。

3月の中旬。

来年もお願いしますと常勤講師の先生が約束されていた。

その先生は教諭になるつもりがなく、常勤講師を続けていた。

3月の下旬。

急にその約束が破談になった。

学年団も決まっていたのに。

こんなことが公立高校で起きている。

 

誰もこんな仕事やりたがらないよ。

 

教師のバトン

どうやら文科省は教師の魅力が伝わってないから人気がないと本気で思っているようだ。

「教師のバトン」という現職教員からの意見の吸い上げに関しては良い取り組みと思う。

魅力の発信というより闇の部分のほうが目立つよくになっているが。というかほとんど闇な気がする…

 

閑話休題

 

あなたは会社の面接官です。

志望者が二人来ました。

Aさんはシャツは全開、ズボンは破れ、髪はぼさぼさ、裸足できましたが、熱意は多くありました。

Bさんはきっちりとしたスーツをきて、髪も整えたうえで、熱意は普通でした。

どちらを採用しますか?

 

結局のところこれが教師のイメージなんだと思います。

教師の仕事自体に魅力は感じるが働き方などその他の部分でそもそも視野にはいらない。つまり選択肢として除外される。

私の友人や先輩後輩の中にも、「教師はやってみたいけどなりたくない」という人が多く、そのほとんどが教師をしてません。

 

「検討」ばかりしてないで、いい加減動いてくれませんかね。

陽性がでた教員の扱い

勤務先の学校の教員が陽性とわかったとき、生徒や保護者からどんな態度をとられるかわかりますか?

 

まず、犯人捜しのように誰がかかったのかを聞きまわる生徒がでてきます。

陽性となった教員の濃厚接触の生徒も出席停止になるので、数人の生徒が突然10日程度休みます。

その間、濃厚接触の生徒がコロナにかかったらしいというありもしない噂がたちます。

教員はその火消しに追われますが、プライバシーの観点から全てを話すことはできず有耶無耶な形しか対処できません。

 

10日程度たち、職場復帰したとしても、コロナにかかったことは悪いことではないのに職場での肩身は狭く、生徒からもコロナにかかった人の授業を受けたくないという声も聞こえます。

陰口も言われます。

典型的なコロナハラスメントですね。

身体も万全ではないのに心までえぐられます。

それでも子供の前に立ちます。

休んでいた分を取り返すために必死に授業をします。

 

教師は心も身体も鋼のようじゃないとやっていけない仕事だと感じました。

いじめた側が100%悪いじゃ不十分。

いじめはいじめた側が100%悪い。

よく聞く言葉だと思います。

私もこの言葉には賛成の立場です。

いじめは重大な人権侵害だから。

でも議論がそこで終わるのは不十分でしょう。

そしてこんな意見が出てくるはずです。

いじめられた側にも原因がある。

私はこれもまた事実かなと思っています。

ただこんなことをいうと認めない人もいます。

 

そんな人たちに私が言いたいことは狼少年という物語で得た教訓です。

みなさんは狼少年という物語をご存じですか?

狼が来た!と毎日のように嘘をついた結果だれにも相手にされず、信用されず、無視されて、本当に狼がきたときに助けに来てもらえなかったというお話です。

これから得られる教訓は「嘘をつくのは良くないこと」「嘘は人の信用を損ねる」などでしょう。

この狼少年に対してあなたはどんな感情を抱きますか?

当然の結果とか仕方ないとか然るべき罰を受けたと感じる人が多いと思います。

しかし狼少年側からすると、村人から信用されず無視されるというのはいじめられていると捉えることもできます。

無視した村人が悪いのは間違いありません。

しかし、狼少年にも非があります。

ここで勘違いしてほしくないのは、これは交通事故の過失割合ではないのだからいじめられている側が悪かった

としてもいじめた側の悪さが減るわけではないということです。

いじめはいじめた側が100%悪いです。

ただそれはいじめられた側が100%悪くなかったかというとそうゆうことではないというお話です。

 

端的にまとめると、

いじめはいじめた側が100%悪い。

しかし、その一連の流れ(日々の生活態度・言動など)も鑑みて、全体で見たときに、いじめられていた側にも原因がある可能性があり、直すべき点があるかもしれないということです。

もちろん人種差別や性別による差別、身体的特徴による差別からはじまるいじめなど被害者が全く非のないいじめもあります。

だからこそいじめはいじめた側が100%悪いことを示しつつ、いじめられた側にも目を向ける必要があると考えます。

嫌な話~早く帰る先生~

先日、先輩教員と話していると、ある先生の悪口を聞かされました。確かにその先生が悪いのですが、事態が思わぬ方向へ進んでいったので書きます。

 

悪口を言われていた先生(A先生)はなにかとミスが多いらしく、共有すべき情報をしなかったり、当日の朝に急に共有したり、独断で動いたりとなかなか連携がとれていない様子でした。

こればかりはA先生に対してもっと連携をとるように変えてもらわないといけないのですが、先輩の先生(B先生)が思う問題の原因が、「A先生が早く帰ること」と言っており驚きました。

たしかにA先生は18時までには帰っていることが多いのですが、(私とあまり変わりませんが…)早く帰ることが悪であるという風潮は実際あるのだなぁと思いました。

確かに残ればもっと密な連携をとれるでしょうが、勤務時間内に密な連携を取れない現場・業務内容のほうを恨むべきではないでしょうか。

さらにB先生は続けて、「A先生が担任をしているクラスのテストの平均点が低いのも早く帰るから」と言い、早く帰ることとテストの平均点の因果関係がわからなかった私は「どうしてですか?」と質問しました。

するとB先生は「成績不振者のけつを叩いてあげないといけないから」と言っていました。

それって早く帰るとできないんですかね…と思いましたが口には出せませんでした…

 

早く帰ることに対して悪いイメージを持つのではなく、早く帰ることに対して良いイメージを持ってほしいです。

やるべきことをやるべき時間内に終わらせてこそじゃないですか?

 

誰でもなれるというイメージ

あなたは「先生」を尊敬していますか?

 

身近に先生と呼ばれる仕事を想像すると学校の先生(教師)が一番早く思い浮かぶでしょう。

ではお医者さんはどうですか?

似たように先生と呼ばれることのある仕事ではあると思います。

ですが社会的地位は教師より医者のほうが高く、尊敬もされる職業であると思います。

 

この違いはなにか。

両者ともに高い専門性が必要です。

ですが医者のほうがより頭がいいというイメージがあると思います。私は教師ですがそう思います。

なぜか。

私は医師免許取得並びに医学部入学のハードルが難しいことが知られており、医者にはなかなか成れないというイメージがあるからでしょう。

対して教員免許は度重なる「誰でも教職になれるよ」アピールや政策のせいで教員免許が取得できる大学がとても増えました。(現在も社会人が教職に就きやすくなるような制度がつくられているようです。)

その結果教師にはなれる、なれそうというイメージがついたのでしょう。

 

このなれる、なれそうのイメージが蔓延したことが教育の質の低下の一端であると考えています。

 

同時にこのブラックな働き方が世間に知られるようになっています。

 

それでもこの仕事を好き好んでやる人がいます。

私は尊敬してます。

 

なにが言いたかったのかというと、教師のイメージが落ち続けていて、変な教師が増えたことやなれそうイメージの蔓延により学校の立場がどんどん弱くなってるということです。

 

改善するどころか改悪しかしない文科省

変形時間労働制が本気で解決策と思っているなら、あなたたちはもう黙っていたほうがまだましだと言える。

イメージの払拭はなかなかされない。

この罪は重い。

 

 

 

 

 

学びを止めない? 第3波到来。

世間では第3波が来た!と騒がれていますが当然です。

 

そんななかで休校措置はとらないと発表する自治体が多くあります。

理由は「学びを止めない」ためです。

学びを止めないことと休校しないことがイコールであると思っている時点で日本の教育態勢の低さを露呈しているわけですが、恥ずかしくないんですかね?

北海道ではステージ5になっても休校しないそうです。

 

学びを止めないことなもちろん大切だと思いますがあまりに無策すぎませんか?

海外の例を見てみましょう。

教育先進国フィンランドはオンライン整備がそもそも十分であったためにオンラインで授業が行われています。

 

イギリスでは少人数にクラスを分割し、休憩時間をずらすなどの工夫をしているそうです。

 

フランスでは地域ごとに出席制限をかける制度があります。また少人数に分割し、時差登校が実践されています。

 

もちろん日本と同じようなごり押しで進んでいる諸外国もあります。

それでも登校時間を遅くするために公共機関のダイヤ編成を変えたり、マスクの配布、オンライン授業と対面授業の二刀流など様々な対策がとられています。

 

日本は欧米諸国に比べると比較的混乱せず、猶予がありました。

それでもなにも変わらず、寒くなると感染力が増すことが周知の事実だったのにも関わらず放置してきました。

 

2ヶ月先の受験のことはまだ確定せず、教育内容の精査は行われずです。

オンライン授業も取り組めているところがいくつあるでしょう。

コロナ禍が始まったのはもう8ヶ月も前の話なのに。

休校措置から半年以上経つのに。

 

子供は軽症・無症状ですむからそれでいいってことなんでしょうか。

陽性になって二週間学校に行けなかったり、休校になることは学びを止めてるんじゃないですか?

全国にいるコロナが怖くて学校に行けない子供の学びは止まってます。

そもそも、本当に学びを止めないための行動ならコロナ禍になる前から増え続ける不登校問題に対して何かアプローチを仕掛けていましたか?

 

「学びを止めない」という聞こえのいい言葉で、教育を後回しにして放置することはもう許されない。