いじめた側が100%悪いじゃ不十分。
いじめはいじめた側が100%悪い。
よく聞く言葉だと思います。
私もこの言葉には賛成の立場です。
いじめは重大な人権侵害だから。
でも議論がそこで終わるのは不十分でしょう。
そしてこんな意見が出てくるはずです。
いじめられた側にも原因がある。
私はこれもまた事実かなと思っています。
ただこんなことをいうと認めない人もいます。
そんな人たちに私が言いたいことは狼少年という物語で得た教訓です。
みなさんは狼少年という物語をご存じですか?
狼が来た!と毎日のように嘘をついた結果だれにも相手にされず、信用されず、無視されて、本当に狼がきたときに助けに来てもらえなかったというお話です。
これから得られる教訓は「嘘をつくのは良くないこと」「嘘は人の信用を損ねる」などでしょう。
この狼少年に対してあなたはどんな感情を抱きますか?
当然の結果とか仕方ないとか然るべき罰を受けたと感じる人が多いと思います。
しかし狼少年側からすると、村人から信用されず無視されるというのはいじめられていると捉えることもできます。
無視した村人が悪いのは間違いありません。
しかし、狼少年にも非があります。
ここで勘違いしてほしくないのは、これは交通事故の過失割合ではないのだからいじめられている側が悪かった
としてもいじめた側の悪さが減るわけではないということです。
いじめはいじめた側が100%悪いです。
ただそれはいじめられた側が100%悪くなかったかというとそうゆうことではないというお話です。
端的にまとめると、
いじめはいじめた側が100%悪い。
しかし、その一連の流れ(日々の生活態度・言動など)も鑑みて、全体で見たときに、いじめられていた側にも原因がある可能性があり、直すべき点があるかもしれないということです。
もちろん人種差別や性別による差別、身体的特徴による差別からはじまるいじめなど被害者が全く非のないいじめもあります。
だからこそいじめはいじめた側が100%悪いことを示しつつ、いじめられた側にも目を向ける必要があると考えます。