教育の敗北とは。(人権編)
教育の敗北なんて言葉が囁かれることがありますね。
それに対してのよくある答えは「教育に正解なんてない」です。
たしかにそう思います。
でも教育に失敗はあると思うんです。
先日、勤務先の高校で人権教育の時間がありました。
テーマは人種差別でした。
プリントが配られ物語を読む時間がありましたが全く読もうとしない子、関係ないことを喋り出す子、物語を読んでその独特な表現に笑う子、私は日本人だからわからないとか関係ないとか平気で言う子が何人もいました。
極めつけはそのプリントが授業終わりに数枚捨てられていることでした。ゴミ箱にもありましたが床に落ちているものもありました。捨てようとしている生徒一人を捕まえて「なんで捨てるの?」と聞きました。
返ってきた答えは「成績に関係ないし、提出しなくていいから」でした。
この人権教育一連の流れを見て、私は教育の敗北を感じました。
高校生にもなってなにが悪いか、なにを考えないといけないのかがわからない。人種差別という繊細なテーマに対して、クラスにも外国にルーツを持つ生徒がいるのになぜ真剣に取り組めないのか。
読書感想文や夏休みの作文に何を書いてもいいと思います。
でも言って良いことと悪いこと。やって良いこと悪いこと。この区別がつけられない。
人権教育にも正解はないかも知れない。
でも失敗はある。
文科省は道徳を特別な教科として設定した。
幸い数値として評価はしないようだが、教師は生徒一人一人に対してコメントをする必要があるみたいだ。
また教師の仕事を増やす…
今、私が目にした無茶苦茶な人権感覚も恐ろしいものだが、固定された価値観の押し付けもまた恐ろしいものだと思う。
私はまた日本の教育に対してがっかりしました。