井ノ原の言いたいこと ~日本の教育について~

教育について考えたい。そんなブログです。Twitter→@kyoushinotameni

とうとう100人。

東京でとうとう100人越えましたね。

当然といえば当然ですね。

自衛といえば聞こえはいいかも知れませんがようするに丸投げですからね。

自粛ムードも徐々に無くなりはじめていた矢先に100人を突破。

ディズニーランドも再開しましたし不安です。

また鹿児島でもクラスターが発生したようですし、全国で感染が拡大するのも時間の問題でしょう。

いつまで自衛させるつもりでしょう。

ただこのコロナ対策を見て、もう自治体をあてにしない人も増えたのでは?と思います。

そうゆう意味では私たち自身がしっかり考え、時に立ち上がって声を上げるしかないのかもしれません。

自衛のために行動するわけです。

今のままではこどもの場合、自衛もできない。

だから私は登校選択制実施のための活動しています。

早急に自衛の術を与えてほしい。

 

一斉休校を繰り返すだけでは根本解決にならない。

逆にこのまま登校させ続けても、こどもがウイルスの媒介者になってあちこちに撒き散らしたり、教員が感染し、学校運営が機能しなくなる可能性だってある。

想定できない可能性でもないだろう。

現在、オンライン等の対策はすぐ実施できる状況にない。

すべてが遅い。そして鈍い。ウイルスは待ってくれない。

 

鈍いといえばPCR検査数と濃厚接触者の定義である。

今でもマスクをしていたら濃厚接触者じゃないというガバガバな裁定をし、PCR検査を絞る。

 

検査を絞るから検査を受けることに抵抗が起きるのではないか?

人口に対して検査数が少なすぎるから陽性者がでたときに悪人のようにうつる。

大袈裟に言うと10000人検査して陽性者は100人でした。というのと、100人検査して陽性者は1人でした。

では確率は同じでも見え方全然違う。

後者のほうが本人も責任を感じるだろうし、犯人捜しのようなことが起こる。

 

コロナ差別なんて言葉は、すぐPCR検査が受けられる状況にあり、1日に何千人単位で検査すればなくなるのではないだろうか。

 

みんなが受けられないからPCR検査を受けただけで、コロナではないかと疑惑の目を向けられ、有名人は優遇されているなどと疑心暗鬼になる。

積極的に検査した、と言うからまた反感を買う。

常に積極的であるべきであろうと。

 

感染者の数もそうだが、PCR検査数の数にも注目していきたい。